「リバプールの試合を観られなかった」──元主将ジョーダン・ヘンダーソンが明かす、アンフィールド退団の苦悩と今。12年を捧げた男の“赤い絆”が消えることはなかった。
「リバプールの試合を観ることができなかった。」
12年にわたってリヴァプールのキャプテンを務め、チャンピオンズリーグとプレミアリーグの頂点を知る男──ジョーダン・ヘンダーソン。
その退団の裏には、ファンが想像する以上の深い喪失感があった。
彼はポッドキャストで、クラブを去ったあの日の心境を「まるで別れ話のようだった」と語り、
「まだ完全には癒えていない」と明かしている。
「リバプールを観られなかった」──別れの傷
「リバプールを離れたときは本当に辛かった。僕は12年間、あそこにいたからね。ずっと自分の人生の一部だった場所を、ある日突然失うんだ。だから、しばらくは何も観られなかった。リバプールの試合なんて特に……。プレミアリーグ全体も観られなかったよ。地球の裏側にいたから、それで少し助かったかもしれないけどね。」
「あの感覚はまるで“恋人との別れ”のようだった。長くいたクラブを去るのは、引退でも移籍でも同じ。特別なつながりがあるほど、別れは痛い。時間が経てば前に進めるけど、あの時期は間違いなく、人生で一番苦しい時期だった。」
サウジからオランダ、そしてプレミアへ──“彷徨い”の2年間
2023年、ヘンダーソンはサウジアラビアのアル・エティファクへ電撃移籍。莫大なオファーに動いたと批判されたが、わずか半年で退団。その後オランダのアヤックスに加入するも、わずか18か月で契約を終え、この夏、ブレントフォードで再びプレミアリーグに復帰した。
しかし、彼の心の中にはいまも“リバプールの影”が残っている。
「代表から外れても、闘志は消えなかった」
退団後、イングランド代表から外れ、EURO2024にも選ばれなかった。
誰もが「ヘンドの時代は終わった」と言った。
だがトーマス・トゥヘル監督が代表を率いるようになり、ヘンダーソンは再び招集された。
通算85キャップ。
来年のワールドカップ出場も視野に入っている。
「僕はいつだって批判を燃料に変えてきた。どこに行っても、何かを証明しなければいけない立場にあった。それが僕という人間なんだ。たぶん、これからもそれは変わらないだろう。」
「批判を力に変える。それが僕の生き方」
「若い頃は批判を受けるのが本当に辛かった。だけど今は違う。うまく受け流せるようになった。もちろん、過去2〜3年も苦しかった。でも、それを乗り越えて今がある。苦しみを経験することで、自分自身をもっと深く理解できる。その経験をどう使うか次第で、もっと強く、もっと良い人間になれるんだ。」
「僕は完璧じゃない。でも、正しいことをしたいだけ」
「僕は完璧じゃないし、これまでにも失敗してきた。でも、いつだって“正しいこと”をしようとしてきた。周りの人を助け、チームのためにプレーする。どんなにネガティブな状況でも、それを力に変える。それが僕のやり方だ。振り返ってみると、僕はいつも証明し続ける立場にいた。でも、だからこそ今もここにいられる。こうして君と話していること自体が、“悪くない結果”なんじゃないかな。」
赤い絆は、いまも胸の中に
リバプールで過ごした12年間。
その時間は、ジョーダン・ヘンダーソンの人生そのものだった。
アンフィールドを離れても、彼の中で燃え続ける“リバプールの炎”は消えない。
「あの別れは恋人との別れみたいだった。でも、僕はもう一度立ち上がる。」
35歳の今も、彼は挑戦をやめない。
それが、キャプテン・ヘンダーソンという男だ。
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