破綻寸前のクラブを救い、世界屈指の名門へ導いた15年の軌跡
リバプールがフェンウェイ・スポーツ・グループ(FSG)によって買収されてから、今週で15年。
2010年10月15日──あの悪夢のような時代に終止符が打たれた日を、クラブは決して忘れない。
ヒックスとジレットの無謀な経営によって、クラブは財政破綻寸前まで追い詰められた。
だが、その混乱の中で会長としてチームを救った男がいた。
それが、当時ブリティッシュ・エアウェイズ会長でもあったサー・マーティン・ブラウトンだ。
彼はクラブ売却を取りまとめ、3億ポンドという額でリバプールをFSG(当時ニューイングランド・スポーツ・ベンチャーズ)へと託した。
そして今、その決断が「クラブ史上最も重要な転換点」として語り継がれている。
「ファンは“ヤンキー帰れ”と叫んでいた」
ブラウトンは当時をこう振り返る。
「正直、懸念はあったよ。唯一のマイナス点は“彼らがアメリカ人だったこと”だ。当時、ファンのプラカードには“YANKS GO HOME(ヤンキーは帰れ)”と書かれていた。それはヒックスやジレットだけではなく、“アメリカ資本”そのものへの不信感を意味していたんだ。」
「でも私は思った。国籍がどうであれ、フェンウェイの人々には“正しい価値観”があると。」
フェンウェイ・パークで感じた「リバプールとの共通点」
ブラウトンがFSGと初めて会談したのは、ボストンのフェンウェイ・パーク。
そこで彼は、リバプールとレッドソックスの“共鳴”を感じ取ったという。
「彼らが手がけていたボストン・レッドソックスは、名声に比べて長年結果を出せず、約100年もワールドシリーズを制していなかった。それでも彼らは、古い球場を壊さず、“グリーン・モンスター”という伝統を守りながら改修した。そして、勝利を取り戻したんだ。」
「彼らは単に“チームを強くする投資家”ではなく、歴史と誇りを守る“後継者”だった。それを見て、私はリバプールの未来を託す価値があると確信したんだ。」
「アンフィールドを壊さない」──共通する哲学
当時、リバプールには新スタジアム建設案が浮上していた。
しかし、FSGはそれを否定し、アンフィールドを拡張・再生する道を選んだ。
「彼らは“伝統を捨てるのではなく、磨き上げる”という哲学を持っていた。それがレッドソックスでも、リバプールでも同じなんだ。」
買収後の要請と、ブラウトンの決断
FSGが正式にクラブを引き継いだ2010年10月15日。
ジョン・W・ヘンリーとトム・ワーナーは、ブラウトンに「会長として残ってほしい」と依頼した。
しかし、彼はあえて退任を選んだ。
「残るのは魅力的だったが、独立した立場で意思決定できる“会長”と、オーナーの代弁者として動く“会長”は全く違う。意見が違うとき、従うか辞めるかしかない。それなら、私は潔く身を引くべきだと思った。」
その後を継いだワーナーが、現在に至るまでクラブの会長を務めている。
「FSGは約束を守るオーナー」
15年が経った今、ブラウトンはFSGの経営を心から称賛している。
「私は、彼らが“約束を守った”ことを何より評価している。彼らはアンフィールドを拡張し、不可能と言われた改修を成し遂げた。チームに投資し、適切な監督を見つけ、クラブの価値を築き上げた。」
「彼らは“派手に金を使う”オーナーではない。必要なときに、必要な選手を、正しい理由で獲得する。他クラブより投資額は控えめでも、常に“賢く使う”。それこそがFSGの強みだ。」
「彼らは投資家ではなく、後継者だ」
破綻寸前だったクラブを3億ポンドで救い、
15年後には40億ポンド規模の世界的ブランドへと押し上げたフェンウェイ・スポーツ・グループ。
ブラウトンは、彼らをこう表現する。
「彼らは投資家ではなく、“リバプールという伝統の後継者”だ。財務的な利益ではなく、クラブの魂を理解している。それが私が彼らを信頼した理由であり、いまの成功につながっている。」
✍️ まとめ
- 2010年10月15日、FSGがリバプールを3億ポンドで買収
- アンフィールドを守り抜く哲学でクラブを再生
- 15年でクラブ価値は10倍超に
- ブラウトン「FSGは“伝統を受け継ぐ者”であり、“約束を守る経営者”だ」
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