リバプールを愛しながらも、感じていた「距離」
22歳のタイラー・モートンは、いまフランス・リヨンで輝きを放っている。
だがその裏には、リバプールで味わった信頼の欠如”という現実があった。
昨季、アルネ・スロット監督のもとでわずか5試合の出場に終わったモートン。
その胸の内には、リバプールというクラブへの愛情と、それでも試合に出たいというプロとしての葛藤が交錯していた。
「スロットは正直だった。でも、信頼は感じなかった」
「(24年夏に)レバークーゼンが動いたのは少し遅かったんだ」とモートンは振り返る。
「監督(スロット)と話したけど、リバプールは俺を残したかった。俺とエージェントは移籍を進めたかったけど、クラブに止められた。“今は出せない”って。それも理解できるけど、プレーしたいなら動くしかない。」
スロット監督は率直に「君をチームに残す」と伝えた。
それは誠実な対応だったが、モートンにとっては納得しきれない現実でもあった。
「監督は正直に話してくれた。『君をチームに残す』と。俺はバックアップ要員として見られていた。正直、理想ではなかった。俺は試合に出たかったんだ。リバプールで出られるなら最高だったけど、それは叶わなかった。」
華々しいスロットの船出、苦いモートンの現実
アルネ・スロットのリバプール初年度は、歴史的なスタートを切った。
就任後10試合で9勝、そしてクラブ史上最多に並ぶ20度目のリーグ優勝を達成。
だが、その“黄金のシーズン”の陰で、モートンはわずかカップ戦5試合の出場にとどまった。
「監督は俺のことを悪く思ってたわけじゃないと思う。でも“信頼”は感じなかった。実力の問題じゃなく、チャンスをもらえなかっただけだと思う。」
FAカップでは印象的なパフォーマンスを披露し、
EFLカップのウェストハム戦ではコーディ・ガクポの先制点をアシスト。
それでも、チャンスは続かなかった。
「痛みを抱えてでもプレーした」──それでも届かなかった想い
シーズン中盤、モートンは肩を負傷しながらも出場を続けた。
「痛みを抱えながらもチャンスを掴みたくて出続けた。でも、結局は手術が必要だった。」
それは、自分を信じ、評価を覆すための“最後の賭け”でもあった。
しかし12月の終盤、彼はPSV戦を前に手術を決断することになる。
「監督とはオープンに話し合った。俺が手術を受けるとわかっていたから、PSV戦では別の選手を使った。それも納得できた。」
“理解”と“信頼”の狭間で
スロットとの関係は決して悪くなかった。
むしろモートンは、監督の誠実さを評価している。
だが同時に、その誠実さの裏で「自分への信頼の薄さ」を痛感していた。
「監督の判断は正しかったと思う。でも、俺としてはもっとプレーしたかった。それだけなんだ。」
その静かな言葉の奥には、17年間を過ごしたクラブを離れる覚悟が宿っていた。
新たな出発へ
リバプールで築いた時間は、モートンにとって今も特別なものだ。だがその中で得た“苦い経験”こそが、彼を強くした。
「チャンスを与えられなくても、俺は腐らなかった。それが今の俺を支えている。今はリヨンで、ただサッカーを楽しんでいるよ。」
信頼を失った少年が、いまフランスで再び信頼を取り戻している。
それが、タイラー・モートンの“リバプールの次の章”だ。
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