ユルゲン・クロップが、自身がマンチェスター・ユナイテッドの監督就任を断った理由、そしてフェンウェイ・スポーツ・グループ(FSG)社長マイク・ゴードン氏との出会いがいかにリバプール就任を決定づけたかを明かした。
ポッドキャスト番組 The Diary of a CEO に出演したクロップは、ドルトムント退任後の転機を振り返りながら、
「ユナイテッドではなくリバプールを選んだ理由」を率直に語った。
⚽ 「ユナイテッドの話には“自分のクラブ”という感覚がなかった」
2014年、デイヴィッド・モイーズ退任後のユナイテッドは、クロップに接触していた。
当時ドルトムントを率いていた彼は、欧州屈指の名将として注目を集めていたが、
そのオファーを断り、ブンデスリーガに残留している。
クロップはそのときの印象をこう語る。
「あのときユナイテッドの幹部たちと話をした。でも、正直に言えば、その場にいた何人かの人間が好きになれなかった。ユナイテッドは“欲しい選手は全員獲れる。あれも、これも、全部手に入る”という雰囲気だった。私はそこで『これは違うな』と思った。それは“私のプロジェクト”ではなかったんだ。タイミングも違っていたし、根本的に方向性が合わなかった。」
「スターを集める考え方には共感できなかった」
クロップは、ユナイテッドが当時構想していた補強プランにも違和感を覚えたという。
「彼らは“ポール・ポグバを連れ戻そう”とか、“クリスティアーノ・ロナウドを戻そう”と話していた。もちろんポグバは信じられないほどの才能を持っている。ロナウドもメッシと並ぶ史上最高の選手だ。でも、“過去のスターを連れ戻す”という考え方では、うまくいかないことが多い。当時の彼らは“ビッグネームを集めれば勝てる”と思っていた。でも、私は純粋な“フットボールのプロジェクト”を求めていた。だから、その話は私の居場所ではなかった。」
「マイク・ゴードンとの会話で全てが変わった」
ユナイテッドの誘いを断ったクロップのもとに届いたのが、リバプールからのオファーだった。
そして、運命的な出会いが訪れる。
「リバプールの話を聞いたとき、FSGのマイク・ゴードンと話をした。その会話は本当に特別なものだった。彼はオーナーの一人だけど、あの時の話を終えた後、“この人と友達になりたい”と心から思ったよ。彼は誠実で、クラブの未来を本気で考えていた。そのとき初めて、『これが自分のプロジェクトだ』と感じた。」
クロップはその後、ジョン・ヘンリー、トム・ワーナーらFSG首脳とも会談し、
リバプールの監督就任を決断。
2015年10月、クラブの歴史を変える旅が始まった。
「リバプールに来てから、ユナイテッドのことは一度も考えていない」
「リバプールに来てから、一度たりともユナイテッドが何を正しく、何を間違えたかなんて考えたことはない。私にとってユナイテッドは“敵”ではない。ただ、“倒すのが楽しい相手”であることは確かだ。サッカーでも人生でも、問題を解決したと思ったら、2日後には新しい課題が出てくる。長期的な安定なんてない。その都度、解決して前に進むしかないんだ。」
「ユナイテッドの苦境は“フットボール全体の構造的問題”」
「ユナイテッドの問題を特別視する必要はない。モウリーニョが2位になったときでさえ、誰も満足していなかった。だが今では、その位置にも届かない。でも、それはユナイテッドの問題ではなく、現代フットボールそのものの姿だ。勝てば“天才”、負ければ“何も分かっていない”。引き分ければ“退屈”と言われる。結局は“成長”と“発展”が全てなんだ。人もクラブも10年前のままではいられない。そこにどれだけ積み上げを作れたか、それが重要なんだ。」
「コウチーニョを失った痛みから、リバプールの未来が生まれた」
「リバプールでも同じことがあった。フィリペ・コウチーニョを売却したとき、“お金が入って良かった”なんて一度も思わなかった。彼は私にとって、これから10年一緒に働きたい選手だった。でも、私たちはその資金をうまく使った。アリソン、そしてファン・ダイクを獲得した。それは“穴埋め”ではなく、未来への投資だった。これが、私たちとユナイテッドの違いだと思う。」
2014年、もしクロップがユナイテッドの誘いを受けていたら——
サッカーの歴史はまったく違う形になっていたかもしれない。
しかし彼は、「スターを集める計画」よりも「クラブの哲学」を選んだ。
マイク・ゴードンとの一つの会話が、リバプールの未来を変えた。
クロップが語る“プロジェクト”とは、単なる補強や戦術ではなく、「時間をかけて育て、クラブを一つにする文化そのもの」だ。
彼がアンフィールドに残したものは、
勝利の記録だけではなく、リバプールという生き方そのものである。
参照動画↓
コメント