クロップが明かす「ヌニェス獲得」の舞台裏
ユルゲン・クロップがより大きな権限を持つようになった象徴的な出来事として、たびたび取り上げられるのがダルウィン・ヌニェスのリバプール移籍だ。
ウルグアイ代表ストライカーは2023年、ベンフィカから最大8536万ポンド(約164億円)で加入。だが、その巨額の移籍金に見合うだけの結果は残せず、在籍143試合で40ゴールにとどまった。
当時、クラブ内部では別の候補──レアル・ソシエダのアレクサンデル・イサクやRBライプツィヒのクリストファー・エンクンク──を推す声もあったと報じられている。
しかし、クロップは「ヌニェス獲得は自分の独断ではない」と明確に語っている。
「みんなで決めた。プロセスの中で全員が関わった」
クロップはこう振り返る。
「これまでとまったく同じように、みんなで決めたんだ。プロセスの中で全員が関わっていた。もちろん、もっと安く獲得できればよかったけど、あのときはそれが不可能だった。当時はストライカーが必要だったんだ。ボビー(フィルミーノ)が“世界最高の偽9番”としていたが、今度はもっとスピードのあるタイプが必要だった。」
彼は続けて、当時のチーム構成と意図を明かす。
「ルイス・ディアスは素晴らしい。コーディ・ガクポも素晴らしい。じゃあ、どんなタイプの選手が足りていない?コーディはボビーのようにプレーできるが、よりウイングの方が得意だ。だから、もちろんヌニェスもみんなで獲得を決めた。うまくいかなかった部分があるのは認めるけど、彼なしでは多くのことが起きなかったと思う。」
イサクでもエンクンクでもなく、ヌニェスを選んだ理由
当時、リバプールはフィルミーノの後継を模索していた。
前線にはディアス、ジョッタ、ガクポといった選手がいたものの、「裏へ抜け出すスピード」と「フィジカルで勝てる9番タイプ」が不足していた。
その役割を埋める存在としてクロップが求めたのが、ヌニェスだった。
高額な移籍金に見合う結果こそ出ていないが、彼の存在が戦術の幅を広げ、チームの移行期を支えたのは確かだ。
「権限の拡大」が生んだ代償──そして退任へ
もっとも、このように移籍判断に深く関与するようになったことこそ、クロップが“エネルギーを使い果たした”最大の理由でもあった。
以前の体制では、スポーティングディレクターを中心にデータ分析チームが候補を絞り、最終決定を下していた。
だが、クロップがより大きな責任を負うようになり、監督業と編成業務の両立が難しくなっていった。
その結果、2024年、彼はクラブを去る決断を下すこととなる。
アルネ・スロットが「ヘッドコーチ」と呼ばれる理由
この経験を経て、リバプールは新監督アルネ・スロットに“監督(Manager)”ではなく
“ヘッドコーチ(Head Coach)”という肩書きを与えた。
これはクラブ史上初のケースであり、クロップ時代の反省を踏まえた新たな組織体制の象徴だ。
移籍や補強の最終判断は、フットボールCEOマイケル・エドワーズ率いるフロント主導で行われる。
監督は現場の指揮とチーム作りに専念する──そんな「分業制」が再び整備された。
結び:ヌニェスは“失敗”ではなく“転換点”
ダルウィン・ヌニェスの獲得は、単なる一人の選手の成否を超え、リバプールにおける時代の転換点を象徴している。
クロップの情熱と、クラブの方向性。
その交差点に生まれたのが、ヌニェスという存在だった。
たとえすべてが理想通りにいかなかったとしても、
彼がもたらした変化は、リバプールの未来に確実に影響を残している。
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