ユルゲン・クロップが、かつてのリバプール補強体制の舞台裏についてついに口を開いた。
ポッドキャスト番組『The Diary Of A CEO』に出演したクロップは、マイケル・エドワーズ(現FSGフットボールCEO)やジュリアン・ウォードらとの関係、そして自身がどれほどの責任を担っていたのかを率直に語った。
「マイケル・エドワーズは本当に素晴らしい」
FSGのフットボール部門CEOとして復帰したマイケル・エドワーズは、2011年からリバプールに在籍し、スポーティングディレクターとしてクラブの黄金期を築いた立役者の一人だ。
しかし、彼は2021年に退任し、その後を継いだジュリアン・ウォードも2023年に退任。
当時、クロップが補強面でより多くの権限を握るようになったことが2人の退任理由ではないかと噂された。
これに対してクロップはこう語る。
「マイケル・エドワーズは本当に素晴らしい仕事をする人物だ。だけど、選手獲得は彼1人の仕事ではなかった。ジュリアン・ウォードやイアン・グラハム、バリー・ハンターなど、多くの人々が関わっていた。あれは“チームのプロセス”だったんだ。」さらに、エドワーズとの関係性について問われると、クロップは即答した。
「もちろん100%良好だった。マイケルとは本当にうまくやっていたよ。」
「補強は1人の天才の仕事じゃない」
クロップは、エドワーズ時代の補強戦略が“個人のひらめき”ではなく、徹底した共同作業の結果だったことを強調する。
「誰かが突然“あの選手がいるなんて知らなかった!”なんて言い出すようなことはない。私たちは選手をよく知っているし、買う・売るタイミングを見極めるのがスポーティングディレクターの仕事だ。それをマイケルは非常にうまくやっていた。」
この発言からも、クロップが“補強の主導権争い”を否定していることがわかる。
ウォード退任後、「すべてが自分の肩に」
ジュリアン・ウォードの退任後、リバプールはヨルク・シュマトケを暫定的なスポーティングディレクターとして招聘。
だが彼が在任したのはわずか2つの移籍ウィンドウのみで、事実上クロップ自身が補強業務の多くを担う形となっていた。
「結局のところ、あの期間はすべて私の責任だった。もちろん資金面は私の決定ではなかったけれど、それ以外のすべてが私の手にあった。マイケルもジュリアンもいない時期があり、そこは私しかいなかった。試合に勝たなければならない上に、その他すべての業務も背負っていた。本当に激しい時期だったよ。」
「COVIDがすべてを変えた」
クロップは、コロナ禍によってクラブ運営の形が大きく変わったことも明かす。
「COVIDが多くのことを変えた。人々は飛行機で移動しなくなり、オーナーたちも頻繁に来なくなった。予算会議もほとんど電話で行われていたんだ。」
そんな状況の中で、クロップはシュマトケを呼び寄せたという。
「だから、ドイツ人のヨルク・シュマトケを呼んだ。実際、あの時は本当にスポーティングディレクターがいなかったからね。」
「結局、残ったのはコーチ陣と選手たちだけだった」
クロップは、当時のチーム内の実情をこう語る。
「ジュリアンは一度戻ってきたけれど、なぜ再び去ったのか正確な理由は分からない。そういうことがいくつも起きた。結局、いつも現場にいたのは私たちコーチ陣とチームの選手たちだけだった。」
最後に、「その時期、スポーティングディレクター的な仕事をしていたのは誰か?」と問われたクロップはこう締めくくった。
「私たち全員だ。ヨルク・シュマトケと一緒に、弁護士、スカウトたちと協力して進めていた。」
クロップの発言から浮かび上がるのは、“リバプールの成功は個人の功績ではなく、組織の結束の結果だった”という事実だ。
エドワーズ、ウォード、グラハムらが築いた分析・補強システムを、クロップは最大限に生かした。
そして今、エドワーズがFSGの中枢に戻り、リチャード・ヒューズが新たなスポーティングディレクターとして再構築を進めている。
リバプールの未来は明るい。そう確信している。
参照動画↓
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